放射能汚染車両による双子の外部および内部被曝経緯
(中学1年生=K君は兄、Y君は弟=13才)
年月日 |
時系列の出来事(詳細は各リンク参照) |
2011.3.11 |
東日本大震災 |
2011.3.12 |
福島第一原発1号機爆発 川内村に住む双子の祖父母が、避難者に対して川内村で炊き出し |
2011.3.13 |
同様に双子の祖父母が川内村で炊き出し |
2011.3.14 |
福島第一原発3号機爆発 双子の祖父母が川内村脱出 フォレスターで燃料を買出しに走るも購入できず、ガス欠で自宅放置 ミニカで郡山避難所へ |
2011.3.15〜17 |
双子の祖父母が郡山市の避難所で過ごす |
2011.3.17 |
双子の祖母父が、ミニカは郡山市の避難所付近に残し、 |
2011.3.29 |
双子の祖母父が、郡山市にミニカを取りにもどったあと、 |
5月 |
双子のK君Y君が、同時に倦怠感で寝込む |
6月 |
双子のK君Y君が、同時に倦怠感で寝込む |
7月半ば |
双子のK君Y君が、同時に倦怠感で寝込む |
2011.7.28 〜7.30 |
双子の祖父母が身の回り品およびフォレスターを取りに、川内村に一時帰宅。 28日北海道発→29日に川内村の自宅着。 車両1台(フォレスター)とその他の身の回り品を当麻に持ち帰る。 この際、とくに放射能防御は何もしていない。 |
2011.8.4 |
双子のK君Y君が、再び同時に倦怠感と体調不良で寝込む |
8月上旬 |
Y君が寝込み始める。K君はやや回復。 |
2011.8.15 |
病院で双子が診察を受ける(吐き気・頭痛・倦怠感・寝汗・無気力) |
2011.8.18 |
K君の右足ふくらはぎ疼痛が始まる Y君の痙攣が始まる |
2011.8.30 |
ミニカのラジエター付近で友人のH氏が最大0,9μSv/hを計測 すぐに自宅に戻り、症状からY君の頭部の異常を疑う |
2011.9.1 |
札幌にてプハン(バンキー)治療 |
9月中旬 |
Y君の歩行障害が始まる |
10月下旬 |
Y君の痙攣は、外見的にはわからない程度まで回復 (胸に手のひらで触れると若干感じる程度) |
2011.11.6 |
旭川トヨペットと汚染車の部品交換の直接話し合い(断られる) 旭川ホンダと汚染車の部品交換の直接話し合い(断られる) |
2011.11.7 |
旭川スズキは電話で「放射能汚染のある車は…」と断られる |
2011.11.9 |
北海道内の病院にて神経内科を受診 双子とも、神経に関する触診・運動系テストでは異常無し 「放射線による可能性がある」と医師が認め、診断書を書くことを了承 |
2011.11.18 |
旭川三菱が部品取り外し作業を受け入れてくださり、ミニカの部品回収 このとき、ワイパー下部(フロントデッキガーニッシュ内部)に詰まった土埃から最大で2,6μSv/hを計測(DP802i) |
11月下旬 |
Y君の痙攣は外見的にはわからない程度まで回復 (胸に手を触れても第三者にはわからないが、本人においてはまだ微細な痙攣感覚あり) |
2011.12.1 |
土埃をSOEKS-01で再計測し、3,03μSv/hを計測。 |
2011.12.6 |
道民放射能測定所のベクレルモニターLB200にて、 |
2011.12.14 |
同位体研究所による、上記数グラムの「土埃」の測定結果は以下のとおり。 セシウム137=3,587Bq、セシウム134=2907Bq セシウム合算6,494Bq → 数グラム=5gの土埃と仮定すると、×200倍で 濃度=約130万ベクレル/kg |